江戸時代の大奥といえば、将軍がより確実に世継ぎを設ける為に作られたシステム。しかし女性をそろえて終わりだったかというと、そういうわけではありませんでした。実は世継ぎの誕生をより確実なものにするために、将軍には幼い頃より「性の英才教育」ともいえる教育が施されていたのです。
今回は、元大奥女中が明治時代になってからその教えについて記した『秘事作法』についてご紹介いたしましょう。『秘事作法』には、将軍の一番の仕事である「子作り」のため、五歳の時からはじめられていたセックストレーニングの詳細が記されています。
妊娠を確実なものにしようと、将軍家ではどのような方法がとられていたのか…詳細をご紹介いたします。
五才から始まるセックス準備

将軍候補の若君は、五才になると割礼をほどこされ、七才で包皮を完全に剥かれます。割礼とは、男性器の包皮を切る手術のことです。海外では一般的な習慣である地域も多いですが、このような手術を行うのは日本では珍しいですね。現代では、仮性包茎ならばセックスに支障はないとされていますが、セックスが仕事の将軍となると、このくらいの準備が求められたのでしょう。
若君が十才になると、会陰に入念な按摩を施すと共に、男性器に布を硬く巻き付けて鍛えます。現代でも、男性器の増大法に似たものがあるようですが、医学的根拠が乏しいと言われています。
あくまでも指導を目的とした奉仕
十二才になると、いよいよ本格的なトレーニングがはじまります。手や口を用いて、男性器を刺激するのです。しかしこの時点では、むしろ精通を迎えさせないように、先走りが出たら刺激を止める必要がありました。この方法は、現代の早漏防止トレーニングでも用いられていますね。また、現代で言うところの「パイズリ」も、この段階で用いられていたようです。
十三才になると、精液が本格的に出るようになります。未来の将軍様の精液は貴重なものと考えられ、口や手で洩らすことは禁じられていました。このため、御殿女中が初体験の相手を務めていたのです。ただし、この際に快楽をむさぼってはならず、むしろ射精をコントロールする訓練が行われていました。東洋思想においては、男性は射精することなく女性の眞液(愛液の一種)を洩らさせ、それを男性器で受けることで不老長寿が得られるとされていました。ですので、そのための訓練と考えられます。
なお、この行為を行う時、若君はけっして動いてはならず、御殿女中が一方的に奉仕することになっていたと言われています。
ちなみにパイズリのやり方について気になった方は、下記記事で詳しく紹介しているのでぜひ彼に試してみてくださいね。
パイズリの詳しいやり方はこちら
結婚後のラブタイムまでサポート

これまで訓練を続けてきた若君も、いよいよ結婚をする時が来ます。するとそれ以降、御殿女中たちは、将軍様と奥方のセックスをお手伝いするのです。そのお手伝いの方法はというと…将軍様が奥方に確実に射精できるよう、巧みなテクニックで将軍様に奉仕するというもの。
将軍様はともかく、奥方の気持ちを考えると、いたたまれないものがあります…。しかしこの時代、冒頭でも触れたとおり、将軍の子作りは天下の一大事です。個人より家が重視された、江戸時代の武士階級の価値観からすれば、堪え忍ぶべきことだったのでしょう。
ちなみにこれは、将軍家だけでなく、各地の大名家にも似たようなトレーニング法があったと考えられています。
さぁ…ここまで時間をかけて鍛え上げたのだから、さぞかし将軍家は高い命中率を誇っていたのだろう!…と思いきや、徳川将軍十五代のうち、実は六人は養子でした。十一代将軍の徳川家斉は、少なく見積もっても十六人ほどの妻妾を持ち、五十三人の実子を残しました。ですが、家斉は一橋家からの養子です。そのため、このトレーニングを受けていたかどうかは、定かではありません。もしかすると、トレーニングの効果は今ひとつ…だった可能性も…?
ここまで、将軍家の妊娠に対する徹底した体制をご紹介してきましたが、現代の「妊活」とは全くの別物ですね。
しかし、赤ちゃんを授かりたいという気持ちの強さが、様々な方法を根付かせたのかもしれません。また、当時医療を上回る効果があると考えられたことも、妊娠への強い想いがあったためと考えると、頷けることかもしれませんね。
現代でも、多くのカップルが妊活に励んでいらっしゃいます。大切な人との赤ちゃんを授かりたいという想いを大切に、パートナー様と手を取り合って色々な方法を試していっていただければと思います。
1970年生まれ。1996年より、漫画原作者として活動。2009年、日刊誌連載「日本性史」にて、アダルトライターとして活動開始。
スマートフォンアプリ「セックスの日本史」、女性向けWEBサイト連載「蔦葛物語」「オンナとオトコの日本史/世界史」などの著作がある。