平安時代の本では、男性器の機能を「五常」に例えて表しています。五常とは、人の守るべき五つの道のことです。
- 一、「仁」人を思いやり、万人を愛する心。
- 二、「義」私利私欲にとらわれず、正しい行いをすること。
- 三、「礼」礼節を守り、社会秩序を支えること。
- 四、「智」学問に励み、正しい判断力を持つこと。
- 五、「信」約束を守り、常に誠実であること。
となっています。男性器を例えるにしてはいささか大げさですが、それだけセックスを大事なものと考えていたということでしょう。
平安時代の男性器の考え方

「そもそも男性器は、相手に与える存在です。相手に与えてあげようという心は、仁の徳に当たります。仁とは、男性器が自然に勃起する状態のことです」
セックスは男性から女性への恵みである、と言い切ってしまうとあまりにも一方的な奉仕のようですが、平安時代にはこのように考えられていたということですね。
平安時代の解剖学での男性器
平安という時代に意外かもしれませんが、解剖学的に、男性器の構造を正しく描写している一面もあります。
「男性器の中心が管になっているのは、義の徳です。海綿状になっている男性器の本体には、私というものがありません。しかし海綿体に血液が注入されると勃起し、正しい行いをするのです」
平安時代の男性器の見方
次の文からは、平安時代に男性器がどのようなものと考えられていたかが分かります。単に性器として性的な役割を果たしてだけではなく、何としてでも礼節ある部位にしたいという想いが伺えます。
「男性器が亀頭と竿に別れているのは、礼の徳です。人間の行為に、礼節という節度があるように、男性器は勃起すると、亀頭と竿とにはっきりと別れ、その礼節を自ずから明らかにするのです」
「事に臨んで、勃起した男性器が雄々しくそそり立つのは、智の徳です。賢者が智を崇める姿は、勃起した男性器が女性器に狙いを定める姿そのものです」
平安時代も勃起時間の長短が気になっていた?

「その場に臨んだ時、したいと思えば勃起させ、思わなければ勃起させずにおく技術が、信の徳です。この段階にまで到達する者は、古来まれです」
平安時代にも男性の勃起力は注目されていたのでしょうか。
一流のセクシー男優は、勃起も射精も自在にコントロールできるといいますが…パートナーにここまで求めるのはやめておきましょう!
「セックスの道を究めた真人は、この五常の道にのっとって男性器の状態を使い分け、欲望を制御して女性をコントロールします。
相手に与えようとする仁の心が働いても、精気が不十分な時は義の心によって勃起せず、過度のセックスを避けることができます。
また、精気が充分で隆々と勃起すると、亀頭と竿の境目が明らかになり、礼の心がかたちに現れます。
交わるべきかやめておくかを判断し、時に応じて適切な行動を取ることができるようになれば、信の道を身につけたと言えます。この五常の道全てを修めてはじめて、セックスの道を体得したと言えます。この道を守れば、不老長寿が得られるのです」
今とは異なる男性器への考え方は面白いのではないでしょうか。当時の人々が男性器の機能について、深く理解していたことがよくわかりますね。
■イラスト:フジワラアイ
1970年生まれ。1996年より、漫画原作者として活動。2009年、日刊誌連載「日本性史」にて、アダルトライターとして活動開始。
スマートフォンアプリ「セックスの日本史」、女性向けWEBサイト連載「蔦葛物語」「オンナとオトコの日本史/世界史」などの著作がある。