平安マイ・フェア・レディ「紫の上」
紫の上(むらさきのうえ)は、光源氏(以下、源氏)の事実上の正妻でありながら、「女三宮」(おんなさんのみや)というライバルにその座をさらわれ、生涯その地位を得ることはできませんでした。彼女の運命は、幸福と不幸のジェットコースターです。
光源氏に見初められ…


紫の上は、藤壷(ふじつぼ)の姪にあたりますが、母を早くに失い、父とは縁遠く、祖母に育てられていたときに、源氏と出会います。紫の上に藤壷の面影を見出した源氏は、彼女を引き取って育て、やがて成長した彼女を妻にします。源氏が紫の上と新枕を交わしたのは、正妻であった葵の上(あおいのうえ)が亡くなった直後で、源氏23歳、紫の上14歳のときのことです。
実は、源氏は9歳の紫の上を引き取ってからずっと、寝室を共にしていました。当時、実の父娘であっても、寝室を共にすることはなかったので、源氏が最初から、紫の上を娘ではなく、1人の女性として扱っていたことがわかります。
もちろん、無垢な紫の上は、そのようなことは何も知らず、源氏を養父として、ひたすらに慕っていました。ですから紫の上にとって、源氏が自分を愛の対象として見ていたことは大きな驚きで、新枕(初夜)を交わして数日は、すねて源氏に顔も見せませんでした。
「想い」「想われる」ということ

一方、源氏は、葵の上との死別直後にも関わらず、はじめて藤壷以上に愛せる女性を見つけた喜びに満ちて、
「かくて後は、内裏(うち)にも院にも、あからさまに参りたまへるほどだに、静心なく面影に恋しければ、あやしの心や、と我ながら思(おぼ)さる」
(紫の上と契ってからというもの、仕事中にも彼女の面影が頭を離れない。我ながら不思議なものだ)
というありさまだったようです。
これほどまでに深く愛されるのは、女性としては大きな喜びのひとつとも言えるかもしれません。このときの源氏には正妻がおらず、彼女は事実上の正妻として、幸福を得ました。源氏が須磨(すま)に流されたときには京に残り、家宰(かさい)として家のことを取り仕切ってもいます。源氏の帰京後は、明石の君(あかしのきみ)が産んだ女児の養い親にもなりました。
しかし、事実上の正妻として日々を送っていた紫の上に悲劇が起きます。朱雀帝(すざくてい)の第三皇女・女三宮が、源氏の正妻として降嫁(こうか)してきたのです。源氏のことを信じ切っていた紫の上は、女三宮降嫁の噂を聞いても、「そのようなことがあろうはずはない」と信じていました。
しかし、女三宮も紫の上同様、藤壷の姪。兄でもある朱雀院に強く勧められ、心揺れた源氏は、とうとう女三宮の降嫁を受け入れてしまいます。ショックを受けた紫の上ですが、それでも輿入れに当たっては、源氏と協力して積極的に女三宮の世話をします。そのいじらしい様子に、さぞかし源氏の胸は痛んだことでしょう。
紫の上はその後も女三宮を正妻として立てつつ、表面上は仲良く過ごします。しかし、心の中まで穏やかではいられません。次第に源氏と紫の上の心はすれ違っていきますが、源氏はそれに気がつきませんでした。37歳のときに重病にかかった紫の上は、自分の身の不安定さを嘆き、出家を望むようになりますが、源氏は最後までそれを許しませんでした。
現代の「紫の上」タイプとは?
源氏に「理想の女性」として育て上げられ、源氏との愛に一生を捧げた紫の上。「初恋の男性と相思相愛になり、そのまま結婚、添い遂げる」ケースは、現代では少ないと思いますが、以下のような女性が「紫の上」タイプと呼べるでしょう。
- 夫(彼)の意見を何よりも尊重してあげたい!自分の意見は二の次…というトコトン尽くすタイプ。
- 自分の要望を通すのが苦手。相手の強い主張の前では、自分の意見は心に秘める我慢強いタイプ
実は、物語を読んでいると『彼女自身が思い描いた理想』はどんなものだったのか?という疑問も出てきます。というのも、源氏が夫であり、親であり、後ろ盾でもある紫の上は、不満を抱えていても大きな反発をしたり大胆な行動をとったりということができず、源氏の希望に従い続ける、少し可哀想な生涯のようにも見えるからです。
紫の上タイプの女性は、自分の要望を通すのが苦手であればこそ『自分ひとりでも生きていける』という力強さを手に入れると、パートナーと対等で良好な関係でいられることでしょう。男性もそんな一面を感じて、「優しさに甘え過ぎて、自分の元から去っていかれないようにしないと!」と自分を律する心を持つかもしれません。
ただし選んだ男性が源氏のように気の多い男性だと、どのみち女性には困難がたくさんあることでしょう。くれぐれも夫とする人の人柄にはご注意なさいませ。

1970年生まれ。1996年より、漫画原作者として活動。2009年、日刊誌連載「日本性史」にて、アダルトライターとして活動開始。
スマートフォンアプリ「セックスの日本史」、女性向けWEBサイト連載「蔦葛物語」「オンナとオトコの日本史/世界史」などの著作がある。