わたしたちのラブストーリー

私らしく、勇気を出して
第四話 セカンドバージン 紗季

公開日: 2020/08/03  最終更新日: 2020/12/24
第四話 セカンドバージン 紗季
     

    最近、生理が不安定だ。45歳、いわゆるお年頃なのだろう。あるいは、もう退化してしまったのだろうか。

    「紗季先生。それで書籍化の件ですが」
    トイレから戻ると、伊沢彰良(あきら)がかしこまって聞きなおした。
    テーブルにはKK出版社営業部の名刺。
    私はハーブティーを一口飲み、曖昧に頷く。ここは私が主催するヨガ教室、『ウーマンズライフ』に隣接するカフェだ。

    「……少し、考えさせてください」
    女性の悩みに特化した、と大義名分を掲げながら、私がプチ更年期、さらに10年以上もセックスしていないなんて、笑ってしまう。

    体に悩む紗季

    伊沢は、腑に落ちないといったように指を組み、真顔になった。
    「紗季先生。紗季先生のように独立して、しかも内面から輝く女性に憧れる若い世代は多いんです。前向きに考えてもらえませんか」
    内面から輝く、というくだりで、私はつい下腹に手をあててしまった。

    「伊沢さん、おいくつですか」
    「え、僕ですか。35です」
    「私が離婚した年ね」
    たちまち伊沢は無言になった。

    27歳で結婚し、33歳から不妊治療を開始した。子作りの一環としてヨガやハーブを猛勉強したが、懸命になる私とは裏腹に、夫はプレッシャーに嫌気がさしたのか、浮気をした。
    希望も叶わず、一時は夫を恨んだものの、結局は当時身につけたスキルで、今の私が成り立っている。

    ハーブ

    「ごめんなさい、そろそろ教室が始まるので」
    伊沢をいじめるつもりなど、毛頭なかった。ただ、男の35歳はなんて若いのだろうと、感嘆したのだ。
    「わかりました。今日のところは失礼します」
    会釈をする伊沢が、私にはまぶしかった。

    ことが起こったのは、その日のスタジオレッスン中だった。不意の出血が、私をおそったのだ。
    ポーズの途中、不自然に屈み込んでしまった。幸い、ウエアを汚すまでに至らなかったが、私はすっかり気落ちしてしまった。
    「ごめんなさい、今日はここまでにするわ」
    ほぼ終了間近だったとはいえ、私はプロだ。レッスン料を免除すると伝えて、生徒達を見送った。

    スタジオにひとり残ると、一気に脱力した。
    男の人とのふれあいは、ないよりあるほうがいい。セックスだって然りだ。
    でも、シングルやセックスから遠ざかっているのを、罪のように感じてしまうのは、もっとよくない。絶望から立ちなおって、自分で自分を鼓舞してきた私が、私の身体が、かわいそうすぎる。

    「紗季先生、大丈夫ですか」
    おずおずと声をかけてきたのは、高田優絵と河合彩芽だった。
    「ごめんなさいね。ちょっと調子が悪くて」
    「紗季先生でも不調ってあるんですね」
    「彩芽」
    素直に驚愕した彩芽を、優絵がたしなめる。私は思わず苦笑した。

    「私だって不調くらいあるわよ。女だもの」
    人間だもの、と言うつもりだったのに、女だもの、と言ってしまった。自分がかわいそうだと自らをなぐさめつつ、私は男の人を求めているのかもしれない。

    「私、先生って完璧だと思っていたんです」
    彩芽が肩をすくめ、優絵が頷く。
    45歳は若くはないし、大人でいなければと虚勢を張ってしまう。だから時々、疲れてしまうのだ。

    数日後、再び伊沢があらわれた。書籍化の話とは別に、飲みに行きたいのだという。

    「私とデートしたって、ちっともおもしろくないでしょう。伊沢さんなら、若い方がたくさんいるでしょうに」
    「紗季さん、男がみんな若い女性がいいって思っていますか」

    伊沢と飲む紗季

    そうに決まっている。10歳年下の男に、何がわかるのだろう。と、言ってやりたいのをこらえて、私はビールを注文してごまかした。
    伊沢に連れられたのは、気取りのない居酒屋である。

    「僕、紗季さんのことが好きなんですよ」
    喧騒に混ざって、はっきり聞こえた。

    「調子のいいこと言って、そんなに本が作りたいの?」
    「それとこれとは別です。紗季さんと話をしたり、ヨガを指導している姿を見て、その、好きになったというか」
    にぎやかな店を選んだのは、気恥ずかしいことを臆面もなく言うためなのか。ビールジョッキを持とうとした私の手を伊沢が握りしめ、
    「ほら、こんなに心臓がバクバクしてる」
    そのまま自分の胸にあてた。はからずも、私の全身が熱くなった。顔まで赤くなっているに違いない。

    「何するのよ」
    慌てて手を振り払い身を縮めた私に、伊沢が目を丸くした。
    「紗季さんって、可愛いですね」
    「冗談はやめて」

    涙が出そうになる。
    完璧だとか、憧れだとか、全部嘘だ。私はこんなにもちっぽけで、男の人に慣れていなくて、冗談だって笑い飛ばしたいのに、動揺してしまっている。

    たった今、私は告白されたのだ。10も年下の男に。

    「僕、本気ですから。酒だって飲んでないし、酔っぱらってもいない」
    伊沢の前に置かれたビールは、泡がすっかりなくなっていた。
    「僕、この間、紗季先生が不調だって生徒さんに聞いて、すごく心配していたんです」
    不調の原因を知っても、伊沢は私を好きでいてくれるだろうか。随分前からご無沙汰だと知っても。

    「今日は……、飲みましょう」
    私がビールジョッキを傾けたら、伊沢もやっとビールを口にした。

    著者:森美樹

    埼玉県出身。元少女小説家、小説家。2013年新潮社『R-18文学賞』読者賞受賞。 『主婦病』『幸福なハダカ』『私の裸』新潮社より刊行。他、著書多数。cakesにてエッセイ連載中。
    『アラフィフ作家の迷走性活』

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