登場人物
橘彩耶(たちばな さや) 29歳 IT人事
積極的に飲み会に行ったり、マッチングアプリも使っていろんな人に会ってきたけど、ダメ男に引っかかったりとなかなかいい恋愛ができない。そろそろ真実の愛を見つけたいと思っていたある日…。
プロローグ
『大丈夫、僕ときみは数年後もここに一緒にいるよ』
熱のこもったあたたかい繋いだ手を忘れることができないまま、別れた。学生時代から5年付き合っていた……彼と。
第一章
「もう二年なんだけどな」
こんな風に寒い夜に呟くのは、後悔しているからだ、と気が付いてきた。
そろそろ結婚の文字もちらつき始める29歳。幼馴染が子育てを始めたとか、続けて届く結婚式の招待状とか。心静かにさせてくれない“結婚適齢期”のいやな風が吹き始めた。
なんとなく誘われ参加した合コンがハズレだったのか、妙な焦りが生まれた。
少しでも男性ウケを良く、とヘアスタイルは前髪ありのストレートロング、服装は合コンに行けるコンサバ系を意識した。が、研究不足なのか、垢抜けしていないのか……やや野暮ったい気がする。
マッチングアプリや合コンへの参加を繰り返してきた私。もう何度目の不発だろう。スタイルは悪くないほう(だと思う)し、人並みに正しく生きてきたはず。
なのに、将来をこの人と共にしよう、と思える出会いはまだ訪れていない。
いつも通り、大して盛り上がらず早々に解散となった合コンの帰り。そろそろイルミネーションが綺麗な時期だと思ったが、その通りだった。冬の都会の町並みは、ひどく美しい。そんな煌びやかな通りで、ショーウインドーに並ぶ可愛らしいパッケージのコスメを見つけた私は、思わず足を止めた。
久しぶりに感じる、胸がときめく感覚。しかし、反射したガラスに自分の姿が並ぶように映って、気分が落ちた
昔から割と遊んできたほうだ。自分にはそこそこ自信もあったはずなのに、ここ最近の度重なる不発で、美意識も、自信も持てなくなった私がそこにいた。
きらきらと光るショーウィンドーの前を、足早に通り過ぎた。私には、どうせ似合わない。 濁った思いを胸の奥に押し込んだ。
第二章
「今頃は二次会かな」
夜遅い時間の電車内は、とても静かだ。今日の合コンで作られたグループトークを開いてみても、新着メッセージはない。
(これからもずっと、メッセージなんて来ないんだろうな)
もうかなり前から、出会いを求めて。それでも、少し前まで自分は選ぶ側だと思っていた。
でも、そうじゃない
「私、選ばれてはいないんだ……誰にも」

空いている座席にも座らず、ドアのそばに立ったままぼんやりと外を見つめていた時、自分が降りるべき駅に着いたらしいアナウンスが聞こえた。 慌てて飛び降りたせいで足を捻って、おろしたてのベージュのパンプスに黒い汚れが浮かんだ。
踏んだり蹴ったりとはまさにこのこと。
きれいなお月様が、ゆるく歪む。歪んで零れ落ちて、私は指先で目元を拭った。アイメイクが崩れないか心配になったが、もう今夜は全部終わったのだ。
寂しいけど、明日に向かえるように自分で立ち直るしかない。
「わたしはいつになったら良い恋愛ができるの…」
月を見上げて呟いたとき、小さな鳴き声がした。見ると、小柄な黒猫がちょこんと手足を揃えて座っている。いつも通る、何の変哲もない公園だ。
黒猫がにゃあ、と鳴き声を上げた。
「ごめんね、あなたが食べられるものは持ってないの」と告げるも、黒猫はとことことついてくる。困ったな、と振り返った。 「うちでは、飼えないから、ね?」
あれ?立ち止まった猫の足元に、小さめの本のようなものが転がっている。
「なに、これ……」
「にゃあ」
やたらと光って見えるそれは、まるで魔導書のようにも見える。猫は私の目をじっと見つめたかと思うと、颯爽とその場を去って行った。
体が勝手に動いて、本を拾い上げる。そして……そっと開いてみる。すると、次々と小さな光の粒が夜空に飛び散り、5つの光の環になった。一つ一つの環の中に、かわいい瓶や、ケースが見える。
「な、なに、これ……?」
やがて5つの光は形となって、手元にふわりと降りてきた。
両手で抱えてまじまじと見つめる。これは……コスメ?
ショーウィンドーで見かけたあのコスメを見た時のようなワクワク感。それが胸をいっぱいに満たす。非現実的で不思議な出来事なのに、恐怖感は一切なくて。
なぜか、夜空がやけにまぶしく見えた。
第三章
朝日がまばゆく射し込んでくる朝。わたしは毛布に潜り込んだ。
「何時……」と潜り込んで、はっとする。危ない、二度寝するところだった……!
勢いよくカーテンを開けた。ベッドサイドには昨日のコスメが、昨日の出来事は夢じゃないよ、と語りかけるように並んでいる。
(これ……貰ってもよかったのかな。昨日は勢いで持ってきちゃったけど)
でも、私は間違いなく見たのだ。本から、5つの光が浮かんだ瞬間を。そしてそれがゆっくりと形になって、コスメになったすべてを。
「これも……何かの縁、よね」言い聞かせるように呟き、並んだコスメに手を伸ばした。
ロッカールームで支度を済ませて、社内用バッグを下げて執務室に入る。「おはようございます」と席に着いた所で、同僚がやってきた。
「ねえ、もしかして今日、デート?」
「え?」
「いつもと雰囲気違うから。香水?すごくいい香り!」
同僚は私が返事するより先に、さっさと自席に戻っていってしまった。 デート?香水?……もしかして。あの魔法のコスメ?
それからというもの、私はあの魔法のコスメたちを次々と活用していった。
香水の『リビドー』、ヘアオイルの『ナデテ』、リップグロスの『ヌレヌレ』……。
ボディジェルの『プエラリア・ハーバルジェル』でボディケアも入念にするようになったし、なんだか前向きな気持ちでいられる日が増えた気がする。ふと思い立ち、久しぶりにマッチングアプリの写真とプロフィールを見直すことにした。
つくづく、私は自分のステータスになるような条件ばかりを求めていたんだな、と思う。人として、ではなく、付属品として。自分自身の価値を相手で上げようとしていたのかもしれない。
これからは、自分の価値は自分で上げよう。想い合える相手と出会うために。
第四章
あれから数日後。
職場のロッカー室で、鞄に潜ませていた『恋粉』をシュッと振りかける。これは顔にも使えるボディパウダーらしく、肌がサラサラになるお気に入りのコスメだ。
今日はこれから、アプリで出会った男性と初めて会う。プロフィールを新しくしてから初めてマッチングをした彼には、一目で不思議な縁を感じた。
だからこそ、うまくいくといいな、と思う。でも以前のように気負いすることはなかった。 もう、下を向いて自信をなくすことはない。コスメたちが上を向かせてくれるから。

実際に会った彼は、写真よりずっと爽やかで、端正な顔立ちに優しさが滲む好青年だった。逆詐欺だ、これは……。こんなこともあるんだ、と驚いた。
彼が選んでくれたお店も、とても素敵な雰囲気だった。 ワインも美味しい。何より話がとても楽しくて、次も会いたいと思った。
「あの……」
店を後にして、そろそろ解散かな、というタイミング。彼がほんのりワインに染まった顔をこちらに向ける。
「すごく良い香りがして、何だろう?と思ってたんですけど。今隣に並んで気付きました。もしかして、橘さんの香りですか?」
「あ、そう、かもしれません」
「なんていうか、すごく……好きです」
向けられたのは、なんとも言えない、愛おしそうな柔らかい笑顔。すぐにはっとした様子で「香りが!ですね、すみません!」と慌てる彼を見て、胸の奥でときめきが弾けた。
くすくすと笑う私を見て、彼が咳ばらいをする
「また、お会いできませんか?」
差し出された手に、恭しく触れる。まるで初恋が叶った少女のような気持ちで。
はい、と頷いた瞬間、何かが溶けていくような気がした。
繋いだ手は、今までで一番暖かかった。
END
\作中に出てきたコスメはこちら!/
